2008/07/09

〜マナーとモラルとインモラル〜


これは今日の話じゃなくて、数日前の話なんですが
自分の自転車のカゴに、何故か知らないのですが
空のコーラのペットボトルが入っていました。
自分はコーラなんて買わないので、状況を察するに
誰かがカゴに捨てるように入れていったんだと思います。
まるで自転車がゴミ箱なのかと思っているような行動の被害者になって、
当然の事ですが、非常に嫌な気分がしました。

似たような事が数ヶ月に一度くらいあったりすることもあります。
自分だけ何者かの嫌がらせを受けているのか、
はたまた自分の周りの環境がそういう事の多い環境なのか。


前者だと逆に納得が出来るのですが、結局のところどちらにせよ
他人のカゴにゴミを遠慮なく入れれるような人間がいることは確かです。

おそらく入れているほうは些細な風にしか感じていないでしょうが
入れられる立場としては、行き場の無い憤りを感じるだけで
本当に勘弁して欲しいと思うような心境になります。


また、似たような話になりますが
傘置き場においていた傘が無くなったこともあります。

その時は濡れたくなかったので、コンビニで500円ほど払って傘を買いましたが
後になって、何で自分がお金を払って傘を買わなくてはいけないのだろうという
理不尽な想いを味わいました。

ですが傘を持っていった人は間違いなく恩も感じてないどころか
運が良い、ラッキーだった、程度にしか感じてないと思います。
少なくとも罪悪感という言葉はかなり薄いものかと。
しかもその傘も捨てるか処理するかするんだと思います。
結局持ち主の下に返ることは無いんでしょう。


悲しきかな、世の中にはこういった負の連鎖とも言えるような出来事が溢れています。
得した方は微々たるものしか得られていないのに
損した方はそれに見合わぬ損失を被っている。


少なくとも、そんな事はしない人間になりたいです。
そして世の中にそういう事がないようになってほしいです。


ただ逆に、誰かが損をしても他の誰かがそれ以上に凄い得をする場合は
自分はありだと思っています。
相対的に見れるものではない、とはわかっていますし
誰かが損をしている時点でどうなのかとも思われるでしょうが
全体的に見るとやはり得になっているので、やはり自分には否定出来ないと思います。

モラル云々の話のつもりだったのに、いつのまにか損得の話になっている事実。



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