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「はぁ、はぁ、はぁ」
僕は必死に走って逃げていた。
閑静な深夜の住宅街の中、街灯が横をいくつも通りすぎていく。
時々ちらっと後ろを振り返ってみるが、別に人影があるわけではない。
しかし確実に僕は追われている。
なんでこんなことになってしまったのか。
後悔してもいまさらだった。
いまはただ逃げることしか考えられない。


その夜、僕たちは川原で集まって花火をしていた。
夏休みも終わりに近づいてきたころである。
せっかくの夏休みを満喫しておこうということで集まり、花火をやることになったのだ。
蒸し暑い夜だったが、はしゃぎながら花火をしていると不思議と気にはならなかった。
両手いっぱいになるぐらい花火を買い込んでやったのだが、
10時には花火は終わっていた。
8時くらいにははじめたのである、花火は楽しかったものの、
思ったより早く終わってみんな何か物足りない様子だった。
10時といえば外を出歩くには遅い時間かもしれないが、
夏休み中だしみんなテンションがあがっていたのだ。
いまからどこかに行こうという話になった。
とはいえこんな時間である。
場所といえば限られてきてしまう。
ファミレスかカラオケでオールでもするか……。
どうしようかぐだぐだ話し合っていたが、
そのうちにだれかが、肝試しでもしないか?と言いだした。
肝試し。ありきたりだがなんだか夏休みの終わりのイベントとしては
とてもふさわしいものに感じられた。
じゃあどこに行くべきか。
みんなああだこうだと意見をだした。
隣町の廃病院に変な噂があるだの、使われていない古いトンネルが心霊スポットになってるだの。
しかしみんな自転車である、時間も時間だしそこまで遠くには行けない。
そんな中だれかが学校に行こうと言い出した。
せっかくの夏休みなのに学校に行くのかと、誰かが笑いながら抗議の声を上げた。
けれどたしかにうちの学校にはいくつか怪しい噂がある。
よし、学校に行こうよ、と僕も賛成した。
じゃあ行ってみるかとみんなもその気になったようだった。
あたりにちらばってる花火をバケツにつっこんで前かごにのせ、
自転車にまたがりみんなで学校へと向かった。



夜の学校は暗闇の中にぼんやりと浮かび上がって不気味に静まり返っている。
一人だったら多分この時点で帰っていただろう。
けれど何人かで一緒にいるという状況は、気を大きくもたせてくれていた。
やはりこれくらい雰囲気のでるシチュエーションでなければ面白くないというものだ、
みんなもそれっぽくていいじゃないかというような事を言い合っていた。
校門は閉まっていたので門の前に自転車を止め、
門によじのぼって校内に侵入した。
校舎に近づいてみると日中とはまったく違う雰囲気に圧倒される。
ぼんやりと昇降口を照らしている緑の非常灯、
校舎の隅で街灯に照らされて浮かび上がる銅像、
どこからか聞こえる鳥の声や葉がざわつく音。
窓ガラスや校舎の影や木の向こう側など、どこを見ても何かが潜んでいそうな気がしてしまう。
さっきまでのみんなのテンションも、昇降口の前に来る頃にはだいぶ低くなっていた。
「どうしよう、本当に入る?」一人がそんなことを言い出した。
「ばか、ここまで来たら行くしかないでしょ。それともびびってるのか?」
他の奴がそうやって冷やかした。
「まさか。びびってないけどさ、みんなはどうかなって」
「もちろん入るに決まってるさ」
結局入ることになった。きっとみんな同じくらいびびってるだろう。
けどだれかが挑発しはじめたら結局こうなっちゃうのである。
中に入ろうと扉の取っ手ををぐいとひっぱった。
しかし扉は開かない。
「ありゃ、鍵がかかってるや」
よく考えてみれば当然である。
みんながっかりしたやらほっとしたやらで、じゃあ入れないな、と言って笑いあった。
けどこのままじゃつまらない、校舎を一周くらいしていこうぜという誰かの意見で、
ぶらぶらと夜の学校を歩くことになった。
懐中電灯を頼りに校舎に沿って歩く。
みんな校舎に入れないということで少しほっとしたのか、
べらべらと話ながら歩いた。
相変わらず夜の学校は薄気味悪かったが、だんだん雰囲気に慣れてきた上に、
数人で話し合っていればにぎやかなものである。
ほんとは確かめたかった怪談とかあるんだけどね、残念だよとか言いながら笑い合う。
理科室でガイコツが動くのだの音楽室でピアノが鳴るだの、どれもありきたりなものばかりである。
けどそのとき一人が真顔でこんなことを言い出した。
「でも俺本当にやばいのひとつだけ知ってるぜ」
そいつがあんまり真顔で言うもんだからみんな思わず吹き出してしまった。
トイレの花子さんか?それともあれか、うちの学校のはトイレの太郎くんとかかもな、
そう言って他のみんなは笑いあう。
「いや、違うんだって。先月退学した先輩がいただろ、佐々木って先輩」
佐々木先輩。サッカー部の人で、レギュラーだったこともあり、校内ではそれなりの有名人だった。
「ああ、そんなこともあったな。ありゃ意外だったよなあ。
 けどそれがどうしたの?」
たしかにいきなりなんの話をしようとしているのか読めない。
「その先輩なんだけどさ、なんだか変なものに取り憑かれたみたいでさ。
 いま自宅療養してるらしいんだが、ほとんど気が狂っちまってるって話だぜ」
そりゃ本当かよ。取り憑かれただのなんだのってのは胡散臭いが、
気が触れてしまっているというのは重大なニュースである。
あの爽やかだった先輩が……。
「その取り憑かれた原因ってのなんだが、先輩も夜の校舎に来てたらしいんだ。
それで変なものを見たとからしいぜ」
「その変なものってなんだ?」
「それがさ。……あれ?あそこ開いてないか?」
何だよ、話の腰折るなよとか言いながらそいつが指差した先を見ると。
たしかに開いていたのだ。
窓がひとつだけ。
その開いている窓からカーテンがぱたぱたと風に吹かれて外に出ていた。
「今から入って確かめてみよう。詳しい話はまた中でするぜ」
みんなえっと息を呑んだ。
けれど。
誰もが怖がってはいたけれど中途半端に聞かされた話が気になっていたのだ。
みんな靴を脱いで窓によじのぼり、彼の後に付いて校舎に侵入した。
「よっと。ほらこっち」
「うん、ありがとう」
「やべぇ、はいれちまったな」
「私もそう思う。これって不法侵入ってやつだよね」
各々が好きなように喋っている。
誰もが必死に恐怖に飲まれないようにしているのが分かる。
しかし、恐怖の他にも夜にこんなところに入っているという罪悪感が混ざったあの悪戯をしている時の気分でもあることも確かだ。
その両者のドキドキが合わさってみんなの心臓の音が今にも聞こえてきそうである。
校舎の中は月に照らし出されて明るかった。
外での木々のざわめきなどは何一つない。
そこには音という概念が存在しないかのように、僕達が喋る言葉を吸い込んでいく。
耳鳴りがするほどの閉塞した空気が中を満たしている。
月の光と柱の影、それらによってここにはただ静謐な闇が延々と広がっている。

取りあえず下駄箱まで行き上履きに履き替えた。
いつでも外に出られるようにと、靴はそれぞれ自分の鞄の中にしまうことにした。
上履きの調子を整えるためトントン、とつま先で地面を軽く叩く。
夏休みに入ってからは滅多に校舎に入らないため、リノリウムの感触がやけに懐かしく感じる。
一つ息を吐いた。
おうけい、ただ暗いだけで普通の学校だ、そう自分に言い聞かせる。
周りのみんなも大分落ち着いてきているようである。
―――8人。僕も含めそれがいまここにいるメンバーだ。
クラスや部活などで知り合った、よく見知った顔ぶれ。
普段のお喋りから、文化祭や体育祭といった行事まで、大抵こいつらと過ごしてきた。
もはや仲間と言っていいほどのメンバーである。
「んで、結局のところ、取り憑かれた原因ってなんだったんだ?」
ふいに誰かが口に出す。
どうせだからさっさと探検だけして帰りたい、そんな口ぶりでもある。
「それなんだけどな……」
話を続けようとする。
その、一瞬の出来事だった。
しゃらん、と音がした。
あるはずのない音がする。
携帯のストラップなどプラスチックのこすれる音がする。
話を進めようとする友人の後ろ、女の子が立っていた。
黒い髪でまっすぐと長くまるで日本人形を想像させるつくり。
そこに月明かりによって不釣合いなほど白く照らされたワンピース。
素足で底に立っていた少女の足元には先ほどの音源であろう、アンクレットがついている。
ある意味で整いすぎている少女は長い前髪によって目元は見えない。
そして、この一瞬の間隔をもって、少女は笑った。
不気味に、口元を引き攣らせて。
「えっ」
誰かが声を上げる。
また次の瞬間に、月が雲によって隠れた。
目の前の少女も、仲間も、なにも見えなくなる。
ただの虚ろな真っ暗闇が目の前に広がる。
感覚が鋭敏になっているのか、それとも麻痺しているのか分からなくなる。
ふぅっと、首筋をありえないはずの生ぬるい風が流れた。
すべてがゆがんでしまっていると思った。
そう思い始めると見えないはずの景色がぐにゃりと歪む気もした。
そうして、僕は目を閉じてしまった。

再び目を開けるとそこには少女は立っていなかった。
それは本当に一瞬の出来事。
冗談でもなんでもない、ただ1つの事実。
そして、他の6人も消えてしまっていた。
ただ1人を除いて。
僕と、加夜美津子、いつでも僕と一緒にいた僕の幼馴染みだけがその場に残されていた。


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