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他人の恐怖というのか、恐慌というのか、それを見てしまった僕は
何故か逆に落ち着いてきていた。
「僕には何なのかよくわからないけどさ、とりあえずさ」
冷静になれたと言っていいのだろう。
「今わかってることだけでも教えてくれないか」
正直な話、恐怖はあった。
今でもこんな暗い非常灯の灯りしかないような場所には居たくない。
風は湿りきっているし冷たい。
もしかして今僕が冷静になっているのは、
恐怖が限界を超えてしまったからなのかもしれない。
だが、慌てているよりはこうして落ち着いているほうがいい。
一種の決意のようなもので、僕は長谷から話を聞きだすことにした。
長谷はサッカー部に所属しており、佐々木先輩とも交流があった。
サッカー未経験者だった長谷にもドリブルの仕方から根気良く教えてくれた、
面倒見の良い先輩だったらしい。
長谷もお世話になってた先輩だったので、今月に入ってからお見舞いに行ったのだが、
先輩の母親が今は寝てるからと言って、直接会えなかったらしい。
けれど先輩は起きていたんだと長谷は言う。
なぜ分かるのか。
長谷が言うには、佐々木先輩の母親と玄関で会話してるとき、
たしかに2階からぼそぼそとつぶやいている声が聞こえたそうだ。
それは暗くて低い声だったが、たしかに先輩のものだったらしい。
先輩の母親の声もあって聞き取りにくかったのだが、それは確かに
「ユルシテ、ユルシテ、ユルシテ」
と繰り返しつぶやいていたのだそうだ。
佐々木先輩がおかしくなってしまったというのはやはり本当だったのか。
そして繰り返しつぶやいていたという先輩は、やはり美津子たちのように
なにかにとりつかれてしまっていたのだろうか。
それとも、心が壊れてしまうほどのなにかを見た、あるいは体験したのか。
いや・・・今はそんなことより。
早くその先輩が見たものについて話をしてくれ、と長谷を急かした。
長谷が先輩から話を聞いたのは3ヶ月ほど前のことだった。
ちょうど試合が近づいていたので、部での練習が終わって解散した後、
練習熱心な先輩は体育館の裏でこっそり練習をしていたのだそうだ。
その日はドリブルの練習を終え、シュートの練習をしていた。
だいぶ遅くなれば校内にいる先生の数も減り、見つかって注意されることも少ない。
暗くなった中で、壁に蹴ってどこに戻ってくるか予測してボールを取りに行く練習をした。
思い切り蹴ったボールがあらぬ方向に飛んでいってしまったのだ。
先輩は舌打ちをしてボールの飛んでいったと思われる方向に向かった。
しかし街灯が立っているとはいえ、すっかり暗くなった中ではボールは見つかりづらい。
しばらくの間探していたが見つからず、先輩はあきらめて帰ろうと思ったそうだ。
そして後ろをふりむいたとき。
体育館の角になにか白いものが隠れるのを見たそうだ。
なんだろう。
好奇心に押されて恐怖や不安はほとんど無かったらしい。
恐ろしい風貌の化け物や幽霊が目の前に出てきたならまだしも。
白いなにかっていうだけでびびるほど気は小さくはなかった。
そして体育館の角を曲がったとき、校舎の角にまた白いものが隠れるのを見た。
なにかが自分を誘っているのだろうか。
あるいはただこちらにはきづかず移動しているだけか。
どちらにせよ付いていくまでだと思い、そのなにかにしたがって校舎の角を曲がる。
そうして何回目かの角を曲がったとき、白いなにかが昇降口に入っていくのが見えたそうだ。
その後をつけて昇降口から学校にはいる。
昇降口から学校に入ったとき、外の蒸し暑い様子とは打って変わって
ひやりと冷たい空気が流れているのが感じられた。
そして白い何かが階段のほうの角を曲がるのが見えた。
急いでその後を追う。
そして角を曲がって階段を見上げると、白いなにかが踊り場からさらに階段を上るのが見えた。
急いで階段を駆け上る。
そして階段を上りきって廊下に目をやったとき、そのなにかが壁にすっと吸い込まれていくのが遠くに見えた。
急いでその場所まで駆け寄り、そのなにかが吸い込まれていった部屋の上のほうに目をやると、そこには
「校長室」
と書いてあった。
先輩は気になり、駄目とは分かっていながらも校長室のドアノブに手をかけた。
そしてそれを回すと、徐々にドアノブは回転していき……。
ガチャ、という音とともにドアが開いたのだ。
まさか開くなんて。
さっきのなにかが入れと誘っているのだろうか。
そう思ったが、ここまで来たら中を確認せずにはいられなかった。
校長室の中は光沢のある木目のいかにも高価そうな棚や机が置かれていて、それがいっそう冷たい空気に感じさせていた。
そしてそこの奥に……誰かがうずくまっているのが見えた。
心臓が凍りつく。
怖かったが、声を出してはいけないと、自分に言い聞かせる。
いますぐ逃げなければ……しかし、目はその人影に釘付けになって動けない。
その人影は懐中電灯をもち、
そしてその人影はもそっとこちらを向き……。
それは校長先生だった。しかし目は鈍く赤く光っている。
とても顔は虚ろでとても正気とは思えなかった。
「……ここに、誰が入ってきていいと」
校長はまるで機械仕掛けで動いているかのようにこちらに向き直った。
「下校時間は、すぎています」
そして、ゆらりと立ち上がった。
「あなたも、遊びに来たのですか?」
校長が不気味な笑みを浮かべる。
流石にこれはやばいと先輩も気付いたらしい。そこから這うようにして逃げ出したらしい。
「あのときの校長は異常だったらしい」
長谷がそうつぶやく。
「でも、それだけじゃ先輩が狂う理由になってないじゃないか」
まだ話の続きがあるだろうと思った俺は先を促した。
「いや、ここから先のことについてはまったく俺にもわからないんだ」
「じゃあ先輩に何があったのかも……」
「あぁ、ただ分かることは、この話の後にも先輩は夜の学校に行くことがあったということだけだ」
長谷が神妙にうなずいた。
まったくもって訳が分からない話である。今回の話で分かったことと言えば、校長室でなにかがあったということに過ぎない。
先輩が見たものとはいったいなんだったのだろうか、そして、校長が探していたものとはいったい……。
「あー、もう訳がわかんねぇ」
長谷が頭をかきむしる。
地下の奥深くに閉じ込められたままで、僕達は未だに2人きりのままである。ずっと階段を上ってきたものの、見渡す限り各階には同じ風景が広がっており、とても1階にある校長室がこの地下にあるとは思えなかった。
加夜、あいつはどうしているだろうか、もう顔すらも思い出せないというのに。
俺はこんなに薄情だったのかと自分でも思ってしまう。
これが夢で知り合いは全然違う顔をしていたら、今どんなに幸せなのだろうか。
だが、この感触と今自分の見ているものすべてが、これが夢などではないということを見せ付けてくれる。
友人のあの濁った目や長谷の服についているまだ乾いていない血などは一切変わることのない真実なのだ。
これが、ノートにあった遊びだというのならこんな残酷なことはない。
いまにも、そう背中から
「遊ぼうよ」
なんて、聞こえ……。
今のは、なんだ。僕は一瞬耳を疑う。背中に冷たいものが流れる。
嫌な、冷たい空気が周りを満たしていく。両手はけだるい感じと共に鳥肌になっており動きたくても動けない、しかしそれを見なくてはならないという衝動に駆られてしまう。
やはり、予想どうりに、それはまさしくその通り、加夜が後ろに立っていた。
「うがああああああっ!」
最初自分が叫んだのかと思った、だがそうじゃなかった。
その叫びは僕の隣にいた長谷のものだった。
手に持った血に濡れたそれを持って、加夜のほうに走り出していた。
「……」
僕は目の前の出来事を把握出来ずに、ただ目を開いているだけだった。
何かに憑かれたかのように目を怒らせて、ただ目の前の少女を
殺そうとしている知り合いを見ているだけだった。
手に持った鈍器を、ひたすらに振り回して、変に響く音を聞いているだけだった。
何かが潰れるような音をずっと聞いているだけだった。
そして、目の前の少女が肉塊になるのを、ただ見ているだけだった。
「……ははは、これで、二人目だ」
その時に言った長谷の言葉と、教室の床にちらばっている『それ』を
僕は一生忘れることはできないだろう。
「やらなきゃやられてた、そうだろ?」
「……」
しばらくして、その教室を離れてから口を開いた。
「いいんだ、新谷は何もしなくても、後は俺が全部やる」
どこかで見たような歪んだ笑いも、凄く頼もしいはずの言葉も、
今の僕には何の意味も無かった。
あの教室で潰れた少女の名前を思い出せなくなった事。
あのノートに書いてあった事は一体何を示唆していたんだろう。
そんな事ばかり考えていた。
「とりあえず何とかしてここを出る方法を見つけようぜ」
長谷がそう言った。僕は頷いた。
そして先行する長谷の背中を見ながら考えた。
この狂い始めている少年が僕に襲い掛かってきたら、
その時はどうやって止めようか、と。
首筋でも狙って、殺してしまえばいいか。
そんな考えが浮かんですぐ消した。
僕も狂い始めているのかもしれない、もうとっくに。
「ダメだよ、玩具を二つも壊しちゃ」
ふと、声が聞こえた気がした。
「何か言ったかい、長谷?」
「いや、何も」
「じゃあ、誰かいる……のか?」
周りを見渡した。
この長くて暗い廊下の端にまで人影は見当たらない。
「俺には何も聞こえなかったがな、お前はきっと精神的に参ってるんだ」
断定するような口調に何も言えなかったが、実際のところ
精神が擦り切れそうな感じは否定出来なかったので、気にしないことにした。
幻聴まで聞こえるとは、本当に自分はダメかもしれない。
そんな事を思いながら、階段までついたとき僕は、いや、僕達は驚愕した。
「え……」
人がいた。二人も。知った顔だ。
「長谷に……新谷……?」
その一人の女生徒、春日さんが驚きに恐怖を隠したような表情で聞いてきた。
もう一人の男子、東はいぶかしむような瞳でこちらを見ていた。
「お、おおう」
戸惑いから驚き、そして喜びに変わるように、長谷が嬉しそうな表情で
彼らに近づいていった。
東はその手に持っていた鞄の角で長谷の後頭部を殴った。
「え……?」
僕の声か、長谷の声か、それとも両方だったのか。
その言葉が終わる前に、春日さんが持っていた鋏が
長谷の目に刺さっていた。
「ギャアアアアアアアアアッ!」
醜いオブジェだな、と真っ先に思った。
そう思った自分自身が一番怖かった。
「お前らもか!お前らもかよ!」
叫び声が聞こえた。
長谷かと思ったが、違う。東が叫んでいた。
その叫びで奮い立たせてるかのように、東がふらついている長谷を
突き飛ばした、突き飛ばしたように見えた。
長谷の腹には、どこかで見たような棒が刺さっていた。
包丁の取っ手だった。
その時に長谷が刺されたんだと、やっと頭が理解をした。
助けにいくことも出来たのかもしれない、だけど
足が動かなかった、動こうとしてくれなかった。
もしかしたら自分の中の何かが、もう無駄だと言ってるのかもしれなかった。
そして、どこかで聞いたような気味の悪い音を立てて、長谷は倒れた。
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