5
あきらめにもにた気持ちの中で、僕の目はただ長谷を追っていた。
長谷の顔と腹から生えた刃物、そこから流れ出る血、
青ざめ引きつっている顔。そこにはさっきまでの長谷の面影はなかった。
「うううう……」とうめき声をあげている奇怪な造形物がそこにはあった。
この狂った迷宮の中で始めてまともに話合えた仲間、
それが狂ったかつての仲間にあっという間に殺されてしまった。
ふと顔をあげると、血の滴る鞄を提げてこちらに近づいてくる東と、
その後ろでこちらを見ている春日が目に入った。
狂ったこいつらを目の前にして、俺はもうどうすることもできないのだろう。
東の目も春日の目も正気じゃない。
それは恐怖やあるいは怒りといった感情で鈍く光っている。
東はなおもこちらに近づいてくる。
その光景をぼんやり眺めながら、僕はなにか違和感を感じていた。
なにかがおかしい。
この二人の目はどこかでみた。
どこだ?
あれだ、僕を襲ったあの女友達と男友達だ。
名前はなんだったか……。
いや、いまは名前なんてどうでもいい。
僕を襲ったあいつとあいつは、こんな目だったか?
違う。
もっと光をなくして……濁っていた。
僕と東の距離はもうあとほんの少し。
そうだ、ギラギラとした光を湛えた目の前の二人の目はあれとは違う。
僕の前の二人の目は長谷のそれだ。
そしてこの二人はさっきまでの僕と長谷と一緒なんだ。
なにかにとりつかれた化け物じゃない。
異常な状況に振り回され、生き残ることに必死な、追い詰められたただの人間だ。
諦念がふっと消える。
霞がかかっていた頭が急に回転を始める。
どうするべきか。
ここで戦っても勝てるとは思えない。
勝てたとしても、おそらく無傷ではすまないし、また仲間の候補が減る。
くたくたのこの足で逃げ切れる自信もない。
いちかばちか説得できるか試してみるか。
「東、待て、僕は味方だ!」
東に訴えかけよう。
彼はあと2、3歩というところまで近づいている。
そして……そのまま歩みを止めなかった。
ぶんっと東は鞄を振り回す。
僕は尻餅をつき、頭の上を鞄がかすめていった。
避けられたという喜びもつかの間、座り込んだ僕に次は避けれないと気づく。
まだだ、まだあきらめたらだめだ。
「東!僕を殺していいのか!僕はこの状況を抜け出す鍵を知ってるんだぞ!」
僕はとっさにそう言っていた。
東は振り上げていた鞄をそのままに、ぴたっと止まった。
「はったりじゃないだろうな」
「違う!さっき長谷から話を聞いていたんだ!事件にあった先輩の話をな!
それをお前が長谷を殺したりするから!」
僕はしめたとばかりに強気に東を責めたてた。
「だけどまだ僕が生きてるから話は伝えられる。
ここで僕まで殺したらみんな出られなくなっちゃうんだからな!」
「そんなに外に出たい?じゃあ出してあげる」
頭の中に少女の声が響いて
目の前の東が消えた。
「え……?」
僕と春日さんは呆然とお互いを見つめる。
いや、違う。
春日さんは俺を見てない。
俺の後ろを……見ている。
「出してあげたんだよ」
今度は後ろから少女の声がした。
背中を嫌な汗が流れる。
東はどこへいった?外にでただと?
そんなの信じられるか……!
振り向いたら東の生首を抱えた少女がいるんじゃないか、という妄想が脳裏をかすめる。
春日さんはがちがちと歯を鳴らしておびえたように僕の後ろを見ている。
すごく怖い。けれど見なくては。
僕は思い切って振り向いた。
そこには。
校庭が広がっていた。
言葉もでない。
何なんだ。
どうしちゃったんだ。
本当に外にでた。
あたりを見渡したが、東も春日さんもいなかった。
時計台の時刻は11:00。まだあれから2時間くらいしか経っていないはずなのに、
辺りは、夜中そのものの闇に包まれいてる。
本当に外に出ているのだ。
またしても一瞬の出来事だった。一緒に地上に来た春日さんも、何故か忽然と姿を消している。
ただ振り返ってみただけだというのに。
夢でも見ていたような静寂が辺りを包んでいるだけだ。
しかし、実際はさっきまでの事が夢なんかじゃないということが手に取るように分かる。
思い出せない幼馴染みや友人の名前、さっき東が振り回した鞄についていた血が飛来し付着した服、
そして何故か落ちている血の付着した鋏。
それらのすべてが、今ここが現実であるということをまざまざと見せ付けてくれる。
このどうしようもない現実が、ただ僕を愕然とさせた。
僕は考えた。ここで帰るのも1つの方法だと。
ただ、僕はなんとしても残っている仲間を救い出したかった。
東や春日さんも含めて、だ。
いや、たとえ長谷や・・夜のように死んでいるとしても、
なんとか地上に戻してやりたい、そういう思いが強いのだ。
けど、僕には手段が無い。彼らをこの悪夢から救い出すという手段が。
学校の時計台は11:29を指している。そしてそれはまたもや悪夢的なものを連想させるのだった。
カチン、一際大きな音を立てて長針が回った。
キーンコーンカーンコーン……。
ありえない音が響きだした。―――チャイムだ。
その音は夜の街に反響することなく、ただ闇夜に吸い込まれていく。
やはり、そう思えてしまう自分がいる。
ただ、体はいまだについていかず、思考だけが空回りを起こして、
今にでも発狂しそうな状態になっている。
長谷も東もこんな状態だったのか、と頭の片隅に思いながら僕は肩で呼吸をしている。
ヒュー、と口からか細く漏れるそれは、まるで僕の魂が抜けていくようである。
「……ぼうよ」
足元から複数の声が聞こえる。
間違いない、間違えるはずがない。
そして、地面からは異様な声が聞こえる。
でも、それは聞こえてはいけない声だ。
闇の更に深いところ、そこから、片目に穴が開いた長谷と、
名前も分からない僕の幼馴染みが、這い出るようにして現れてきている。
「ぅぁ……」
僕は悲鳴にもつかない声をあげる。
そして、それらが現れる前に逃げ出した、本当なら二度と入ってはいけない、校舎の中へ。
彼らが完全に這い出るまでに僕は昇降口から中へと滑り込んだ。
そして内側から鍵をかけると、急いで中へと駆け込んだ。そして、廊下の表札をみてみた。
それは、またしても夢のような出来事だった。
「校長室」
廊下の突き当たりに至るまで、全ての教室のプレートが、一番あってほしくない部屋の名前へと変化していた。
なんでこんなことが起こるのか、もはや驚きというより、
疑問といった感情が強くなってるのを自覚した。
僕の精神は気が付く前に強くなっていたらしい。
入ろう、数秒悩んだ末そう決めた。
鍵はかかっていないだろう、何故か本能的にそうわかっていた。
そしてゆっくりと、予想通りにドアは開いた。
中には静謐な暗闇と、不気味な置き物や机があった。
よくある校長室のはずなのに、暗闇のせいかひどく淀んで見えた。
まず机に近づく、下から何か出てこないかと注意深く寄ったが
特に何もおきることは無かった。
代わりに、机の上に紙があった。
書類か何かだと思って目を凝らしたら、ノートの切れ端であることがわかった。
これはもしかしたら、その考えでその切れ端を手にとって見た。
もくじ
そう一言書いてあった。
何を意味するのだろうか。
もくじ、目次……本で言うと最初のページ。
僕は破れていた先輩のノートを思い出した。
もしかしたら、いや、おそらくその切れ端なのだろう。
とりあえず丁寧に折ってポケットにしまう。
その際に何か違和感を感じたが、それが何かはわからない。
他に続きのページでもないだろうか、辺りを見る。
といっても不気味な壺や、剥製などは調べる気にはなれなかった。
ある程度見渡してから僕はその部屋を出ることにした。
ドアを開けて出ていく時、何か妙なほど生ぬるい気配を感じた。
背中にこびりつこうとするそれを払いながら、再び廊下に戻った。
出来ることならもう入りたくないと、その時に思った。
また廊下を見る、土の中に埋もれてた時に比べて月明かりが見える分
とても明るく見えた。
だから誰かが近寄ってくるのもすぐ見えてしまった。
それが赤に染まっているのも、狂った笑顔を浮かべているのも。
全部見えてしまった。
僕は悩んだ、どうすればいいのか。
戸惑っている隙に、その誰かがこちらに向かって走ってきた!
僕は後ずさりした。
怖いなんてもんじゃない、逃げなければいけない、もはや思考がまとまらない。
だって、なぜなら、その誰かの両手にはあるものが無いから。
―いや、違う、その両の腕が無いから。
そのちぎれた部分から、何か液体のようなものを垂れこぼしながら
空を泳ぐ魚のような形で走っている。
逃げなければ、僕は全力で廊下の端まで足を動かした。
ただただ足を前に出すことを考えるのでいっぱいだった。
後ろを振り返る余裕はない。
廊下の端が近づいてきて突き当たりで左に曲がれることにきづく。
ほとんど減速せずに全力で左に曲がる。
そうして曲がった先は一本道だった。
奥にドアがあるだけだ。
あの中に入るしかない、そう考えてドアに体当たりするほどの勢いでとりつき、急いで戸を引く。
しかし、ドアはびくともしなかった。
鍵がかかっているのか、得体の知れない力のせいなのかは分からないが、
どちらにせよ今の僕には絶望的なことに変わりはなかった。
ぺたぺたぺたぺたぺた
曲がり角の向こうから足音が近づいてくる。
そしてどうするか考える間もなく、
曲がり角を曲がって僕の前にそれは現れた。
両手は無く真っ青な顔。
彼は虚ろな目でただ僕を見ていた。
僕はドアを背にしてただ彼と向き合っていた。
膝ががくがくと震える。
幽霊か妖怪か分からないが、両腕を無くして平気で動いてるこいつから逃げれるとは思えなかった。
恐怖のあまりか口の中にすっぱいような味が広がり、背中を冷たい汗がすぅーっと流れていった。
せっかく外にでたのにここまでか。
彼女は僕をもてあそぶためだけに外に出したのか。
彼はただ僕をじっと見つめている。
彼が一歩前へと足を踏み出した。
と思ったら次の瞬間ゆっくりと膝を折って倒れていった。
体内の血液が足りなくなったのだろうか、糸の切れた人形のように無様に顔面から地面へと倒れこむ。
まるで陸に上がった魚のようであった。
無い両腕を使おうとして必死に起き上がろうとするさまは魚そのものの様相である。
名前も知らない他人のはずなのに、何故か涙が込み上げてくる。
悔恨か同情か、はたして訳の分からない感情が襲ってくる。
あんなに楽しかった日常は、もう存在しないのだとまざまざと見せ付けられた気がした。
「……っとみつけたのに」
目の前の人間から声が聞こえてきた。
ぅあ、とボクはうめくことしか出来ない。
「あら……たに……」
両腕を絶たれ、走ることが出来なくなっても目の前のそれは語りかけてくる。
「やっと、会えたのに、世の中って……理不尽だよな」
どうしてボクはこいつの名前を思い出せないんだろう、何故彼は喋ろうとするのだろう。
何故自分なんだ、と強く思った。
「お前は、生きるんだ」
ごぽぁ、という音と共に彼は大量の血を吐いた。
もういい、ボクは彼にそういってやりたい。
「メモが、俺の、ポケットに」
もういいから、その言葉は喉で引っかかっている。
こんなにも、俺は無力だったのか、そう自分を呪いたかった。
何も出来ないままで、彼を見ることしか出来ない。
「お前と、友達で、よかっ……」
それを最後に、静寂が訪れた。
あぁ、こいつはいつもこんな役回りだったな。
それを、死んだ後に思い出すくらいボクはダメなやつに成り下がっていた。
でも、こいつとの具体的な思い出は何も思い出せないままでいた。
しばらく、涙が止らなかった。
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